50年という歳月の中で、人も増え、仕事も増え、
札幌のインフラを任せてもらえる会社へ。

CROSS TALK50th特別座談会

2022年に創立50周年を迎えた事を記念し特別座談会がひらかれました。

  • 第42〜45期
    代表取締役髙橋 俊行

  • 第46〜49期
    代表取締役安西 信昭

  • 第50期
    代表取締役大作 彰洋

親会社の意向で、地場の「組」を
集めてつくったのが協立設備のはじまり

大作そういえば会社ができた当時のことはあまり聞いてないけど、どうだったんですか?

髙橋うちの会社は親会社のサンプラントが工事施工部門を強化しようということで始まったんだよね。親会社の意向で、地場の小さな「組」を寄せ集めて。はじめは7、8人の社員でやっていたかな。給水や排水の配管だったり、暖房なんかの施工を行っていた。それが少しずつ人が増えて、親会社のプラントのほうも手伝うようなった。

安西そうそう。その時期に、今はもう取り壊しになった厚別清掃工場や篠路清掃工場の建設に参加させてもらえるようになったんだな。

髙橋プラントをやり始めたのは、会社ができて10年くらいたった頃じゃなかったかな。

安西そのうち施工だけじゃなく管理もやるようになって、仕事量も格段に増えた。

大作入社した頃は、ほんとにひどい会社だって思いましたよ。人使いも相当荒かった。笑

安西たしかにな〜。笑

設立42年目で協立設備プロパーの社長に

大作うちの会社の節目は、やっぱり協立設備の人間が社長になったときじゃないですか。設立して42年目。やっと協立設備プロパーに任せても大丈夫だろうと思ってもらえるようになった。

髙橋実は社長になるその2年ほど前から話はあったんだけど、ずっと断っていた。そんな立場でもないし、器でもないと。下から支えていく立場だと思っていた。

大作それは知らなかったなぁ。

髙橋自分は事務方だから現場の知識も経験もほとんどなかったし。でも、まあ、現場は君ら二人がいたから大丈夫だろうと受けたよ。

安西いやいや。

髙橋グループ全体でも、ちょうど節目の時期だったんじゃないかな。これからは地元の人間で現場をまとめていかなければいけないという責任感をひしひしと感じていたよ。

大作当時は上司部下というより、もっと友達感覚に近い感じで接していたし、仕事ものびのびやらせてもらったね。安西さんとふたりで現場進めて、報告は後からということも多かったよ。髙橋さんは何かあれば責任はとるよってスタンスだった。

安西その感じが結果よかったのかもしれないね。

成熟した会社になることそれが協立設備の課題だった

大作安西さんが社長になったとき、何か思うところありました?

安西あの頃はまだ会社の仕組みにラフなところがあって、そこをちゃんとしなきゃなという意識があった。コンプライアンスも今ほど厳しい時代じゃなかったしね。

大作会社ができて50年近くたつけど、中身はまだまだ成熟していなかった。

安西会社が大きくなるためには、そこをしっかり固めないとダメだろうと、いろいろ考えたね。まだまだ道半ばだけど。そこは大作社長に託すよ。笑

大作「お客様に信頼される会社、社員が安心して働ける会社」。社訓の言葉だけれど、これを目指していこうという思いが協立設備の根底に流れていると思う。協立設備に頼めば最後までしっかり面倒みてくれる。協立設備なら間違いない。そんなふうに思われる会社にしていきたい。それができていれば、仕事もしっかりついてきて、会社も発展していくだろうと。

安西社訓の社員に関するくだりは、冬場の生活の心配をかけないようにという、社設立時の誓いでもあるね。昔は冬からGW明けくらいまでほんとうに仕事がなかった。建設業の人たちの中には、その間失業保険をもらっていたという話もあった。おかげさまで、うちは少しずつ通年で仕事をもらえるようになった。これも先輩たちが必死に営業してくれたおかげだと思うよ。

大作この10年くらいですよ。春先にちゃんと仕事がまわっているのは。冬場なんか日中でも駐車場にうちの車がびっしり。今思うと、ほんとうに仕事がなかった。8時5時で終わって、土日もちゃんと休める。50年がたって、やっと〝社員が安心して働ける〟普通の会社になれた。笑

初めての社員旅行は20周年の香港・マカオ
うちの会社も立派になったと

髙橋50年の歴史で忘れられないのは、20周年で行った香港・マカオとその2年後のシンガポール。当時はまだ課長だったかな。なにかあっては困るので、社員を半分に分けて行った。うちもそういう会社になったんだという感慨があった。

大作その後に行った愛知万博では、4、5人のグループで6班くらいに分かれて行ったね。1カ月以上かかった。そこまでやってくれる会社なんだから、また頑張ろうという気持ちになったよ。

安西2011年の東日本大震災は大変だったね。当時は工事部長で、仙台と茨城で工事が進んでいて。現地から物資が届かないと連絡が入り、北海道から船にいろいろ積んで送った。新潟に人を置いて、2日に1度くらい仙台までピストン。部材関係だけじゃなく、食べ物や赤ちゃんのオムツまで送ったり、まさに救援物資だった。

大作自分が仙台に行ったのは、震災から1カ月後くらい。ほんとうにバタバタだった。

安西仙台のインフラに関わる設備なので、なんとかしなければと必死でね。あの時は、お金のこととか度外視だったな。

190万人都市札幌のインフラを預かる
会社としての誇りと責任

大作いま札幌市内では白石と発寒と駒岡の3つの清掃工場が稼働している。そのすべての定期メンテナンスに協立設備が携わっているというのは、ある意味すごいこと。

安西白石は札幌市から直接受注を受けているし。建設工事から携わったものもある。そのほか大きな下水処理場にも関わっている。自慢していいかなと思う。その分、責任も大きいけど。

大作この50年で札幌市のインフラを任せてもらえる会社になった。最新設備が導入される駒岡清掃工場の更新事業には、今年からうちも親会社のもとで関わっていくことになる。人員の問題をふくめ大きな仕事にプレッシャーは感じているが、今の協立設備なら乗り越えていける。

髙橋新しい取り組みもあるね。バイオマスとか。

安西うちがバイオマス発電所に関わるようになって6年くらい。清掃工場や下水が主だったが、時代の流れでそういった環境設備も手がけるようになってきた。その時々、時代が必要とする設備やプラントに対応していける会社になるといい。

大作そのためにも、まずは目の前の仕事に全力を尽くしていきたい。私たちの仕事はどんなに時代が変わっても、お客様との信頼で成り立っている。事故をなくすこと。トラブルに素早く対応すること。ひとつひとつの仕事に丁寧に取り組むこと。そこに腐心していきたい。これからも協力お願いします。